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昨日、マンションの集会所が「サンバカーニバル」の控室になっていました。
移転して早9ヶ月の浅草は、毎月祭りがあって元気になれる街。
来月16日から19日には、「第9回したまちコメディ映画祭in台東」が控えています。
今回は、当社がぶじ4期目を迎え、決算も終わったという小さなご報告です。
昨シーズンはあらゆる面で、「人」に力を借りたり甘えさせてもらったりしました。そのおかげで、自分にとって必要だった、あらゆる面での「原点回帰」ができたと思います。
家族、友人、仕事仲間、そして私に希望を託してくださったクライアントさまにまず感謝を申し上げます。ありがとうございます。ひとりじゃ本当にムリです。
1年間のゴールとスタートの節目に、仕事的原点について。
きっかけは、大学生の頃の挫折感です。
友人たちが話す本や映画や映像作品などの内容がちんぷんかんぷんだった私は、「才能とはその分野を追求せずにいられない深さである」「自分にはその深さも生み出す情熱もない」と勝手に悟ります。(今思うと、アート系特有のマウント合戦だった可能性大笑)
しばらく「何しにここへ入ったんだろう?」と沈む日々の中、やがて、「自分は企画を考えるのが好きらしい」「企画を文章に落としこむのが得意らしい」ということに気づきます。また、“才能ある”友人たちも、自分の考えを客観的にわかりやすく伝えることはあまり上手じゃないと知り、初めて自分の価値みたいなものを発見します。
そこから、「生み出す人の気持ちを理解して寄り添いながら、その才能を世の中に理解してもらう部分を手伝いたい」という想いが芽生えていきました。初めて自分の中から。
対象が「人」でも「モノ」でも「サービス」でも「企業」でも、これはPRの考え方そのものです。
ですので、27歳でPRの専門家になれたとき、探し求めていたものに出会えた手応えと一生この仕事を続けるという決意で、トンネルを抜けたような晴れ晴れとした気持ちになったことを覚えています。
そうして13年。
中小企業やベンチャーでのPR経験もある自分が最も喜んでいただけて、かつ自分もワクワクできるのは、PR担当がいなかったり兼務だったり、重要性はわかるけど何から手を付ければいいのかわからなかったり、社内で理解されなくて風当たり強めだったり、そもそもPRって?だったりといった、未開の地を共に耕し道をつくっていく…馬力と深さが求められるクライアントさまだ!とつくづく思います。
さらに、着手できていないこととして、原点でもある「個人」の1回完結「PRコーチング」があります。クリエーターはもちろん、ビジネスを展開する個人事業主、企業のPR担当などなど。
PR会社に月々または単発のまとまったフィーを支払う余裕はないけれど、進む方向やコミュニケーションについて相談してアドバイスが欲しいという声、非常に多いです。企業の担当で言えば、教えてくれる上司がいなくて自己流だけどこれでいいの?という行き詰まり感。(私の経験でもあります)
上記サポートはビジネス的効率とは真逆ですが笑、もしご希望がございましたらご一報いただければと思います。事前にカウンセリングシートで課題を伺ったり、ウェブサイトがある場合は課題を踏まえてそちらを拝見したり、必要であれば質問させていただいたりして、できる限り具体的な解決策や行動がイメージ可能なところまでアドバイスさせていただきたいと思います。
…って、いきなり問い合わせなんて、ハードル高いですね笑
ということで、今の私からエラそうなことを書かせていただきます。
PR=Public Relations. プロモーションやメディア露出活動に集約されがちですが、そもそもは社会と良好な関係であり続けるための、たゆまぬコニュニケーション活動。社会にとって意義のある存在なのだ、という責任感を醸成したり、責任を果たせているかを確認したりする活動でもあると思います。そのブレない軸のもと、時代や届けたい人に合う手法や手段があると思います。
あとは、「誰に売るか」ではなく、「誰を喜ばせたいかor楽しませたいか」もしくは「誰に喜んでもらえそうかor楽しんでもらえそうか」という視点。あるいは変換。
そして、ないものを補うのではなく、強いところを徹底的に尖らせる勇気。
生み出そうとしている、生み出された背景にストーリーがあるならば、そこから見えてくるものがあると思います。
どうぞ、生み出すご自身が楽しめて、ワクワクできて、腑に落ちる(これ意外と重要)道を大切にしてください。
必要な武器(細かな手法やPRのスキルやアイデアの面白さなどなど)は確かにあるけれど、そこに囚われて強靭な心身づくりを忘れると、今日の悩みしか生み出さないと思うからです。
年中祭りの浅草から。合羽橋の七夕まつり。